涅槃図(頼久寺本)
1幅
紙本着色 192.8×159.5
元文6年(1741)頃
頼久寺町・頼久寺蔵
表具裏の右上には、慶長12年(1607)に「高橋雪松」という人物が制作した涅槃図が壊れたために元文6年(1741)に修補したという内容の書付が貼られています。現在の画面に大きな修復の跡は無いため、実際には修復というより、慶長12年(1607)の涅槃図を転写して元文6年(1741)に新しく作り直したものと考えられます。左手前の沙羅樹の幹の上に会衆が描かれていたり、画面左で地に伏す在家信者は手の表現が足のようになっているなど、左側に形の崩れが多く見られるため、元文6年(1741)の時点での慶長の祖本の損壊の程度が伺えます。
表現的には、一見して雲や沙羅樹の形が他の作例と異なっており、釈迦の髪際に緑青を入れたり、会衆の爪を長く描くなどの点が、大陸の影響を受けたとされる涅槃図の遺例によく見られる形を踏襲しています。発色の良い顔料を使用し、丁寧に制作されており、祖本の持つ雰囲気までも再現しようとする制作姿勢がみえ、脈々と受け継がれてきた伝統を伺うことができます。