作品概要

  • 作者:⽑利⼀就(もうり・かずなり)
  • 作品名:⼤⼭
  • 制作年:1973年
  • 素材:油彩/画布
  • 署名:
    • 画⾯右下 (´73 mo)
    • 裏⾯右上の⽊枠部分(倉敷市⽟島⽖崎441 の3⽑利⼀就)
    • 裏⾯右上 (第39 回東光展 ⼤⼭F80 倉敷市⽟島⽖崎441 委員⽑利⼀就)
  • ⼨法:112×146.5 cm
  • 額:あり
  • ⽀持体:キャンバス
  • ⽊枠:あり
  • 裏保護:なし
  • 所有者:岡⼭県⽴⾼梁⾼等学校
作品正⾯の写真
作品正⾯の写真
作品裏⾯の写真
作品裏⾯の写真

破損状態

破損状態

光学調査

修復処置を⾏う前に、事前調査として光学調査を⾏った。今回は紫外線照射撮影、斜光照射撮影を⾏い、それぞれの画像から作品の調査を⾏った。

通常写真
通常写真
斜光照射写真
斜光照射写真
紫外線照射写真
紫外線照射写真

斜光照射で⾒ると、作品が時間の経過によりキャンバスが緩んでしまっていることがわかった。そのため、画⾯左右下端が⼤きく凹んでしまっていた。
紫外線照射観察では、画⾯全体が⻘⾊の蛍光を発しており、ワニスが塗られている可能性が⾼いと考察できる。過去の修復で⾏われた補彩部分は、本作品では確認できなかった。

修復のようす

修復処置⼯程

修復処置では作品のオリジナリティを尊重して、可逆性のある修復材料を⽤い、修復部分を判別可能にすることが求められる。
作品のオリジナルと修復家が⼿を加えた部分とが⾒分けがつくと、後の修復や調査が⾏い易くなるためである。

本作品の修復⼿順

  1. 作品を額縁から外す
  2. 額縁のクリーニング
  3. 作品のクリーニング
  4. ⽊枠のクリーニング
  5. 作品を⽊枠から外す
  6. 剥離箇所に兎⽪膠で仮接着
  7. 画⾯へ接着剤Beva371 塗布
  8. ホットテーブルによるホットプレス
    画⾯全体に絵画修復⽤熱可塑性接着剤
    BEVA371 を塗布し、ホットテーブルを使⽤し熱を加えながら圧⼒をかけ⻲裂及びそれに伴う画⾯の凹凸の修正を⾏った。
  9. 作品裏⾯のクリーニング
  10. ストリップ・ライニング
    キャンバス縁を強化する処置⽅法で、別の布を接着し、⽊枠に張る際の張りしろを確保した。
  11. ⽊枠への張り込み
  12. Beva371 の除去
  13. 画⾯の最終クリーニング
  14. 絵具層剥落部分への充填
  15. 充填部分の成形
  16. 充填部分への補彩 剥落部分へ補彩
  17. 作品へ保護ワニスを塗布
  18. 額装へ⾦箔(合⾦)を接着
    額縁の正⾯内側部分の⾦箔が、剥がれている箇所が多数あったので、新しい⾦箔(合⾦箔)を貼り付けた。
  19. 作品裏に保護バックパネルの取り付け
    作品裏⾯の保護のため、バックパネルを取り付けた。
  • お湯+綿棒によるクリーニング
    お湯+綿棒によるクリーニング
  • ホットプレス作業中
    ホットプレス作業中
  • 剥落部分へ補彩
    剥落部分へ補彩
  • 額縁へ⾦箔(合⾦箔)を接着
    額縁へ⾦箔(合⾦箔)を接着
  • 作品裏⾯へバックパネル取り付け
    作品裏⾯へバックパネル取り付け
  • 修復処置完了後
    修復処置完了後

本作品が描かれた場所の特定


「⼤⼭」がどの⽅⾓、地点から描かれたのかを特定するために、⿃取県⻄伯郡⼤⼭町40-33 にある⼤⼭情報館へ⾏き、調査を⾏った。その結果、県道52 号線 〒689-4433 ⿃取県⽇野郡江府町吉原 付近が作品を描いた場所と推定できる地点である。

  • 本作品が描かれた場所の特定
  • 本作品が描かれた場所の特定
  • 本作品が描かれた場所の特定
  • 本作品が描かれた場所の特定

⿃取県⽇野郡江府町吉原 今回の調査で作品が描かれたと推測した場所

関連作品について


⽑利⼀就⽒は数多くの油彩⾵景画を描いており、⽟島⻑尾幼稚園、岡⼭県⽴倉敷⻘陵⾼校、笠岡ワコーミュージアムに作品が作家より寄贈されていた。本作品にあった作家の筆致やサインなどに共通した特徴が⾒られた。

「壁」

「壁」
「壁」サイン拡大部分
サイン拡⼤部分

「閑⽇」

「閑⽇」
「閑⽇」サイン拡大部分
サイン拡⼤部分

「緑陰」

「緑陰」
「緑陰」サイン拡大部分
サイン拡⼤部分

本作品 サイン拡大部分

本作品 サイン拡大部分

修復を終えて

作品の修復を⾏うに際しては、作品の損傷状況によって作業⼯程の必要性や順序が変わり、決まった⽅法はないが、作品に合った修復処置を検討するためには、作品の現状把握を⼊念に⾏うことは必要不可⽋である。並⾏して作者の⽣涯や制作理念、他の作品調査することにより⼀層の理解が深まるに違いない。
本作品の作家である⽑利⼀就についての調査は、⽑利⽒との電話により得た情報である。
⽑利⽒は体調を崩されており、⾯会による調査は不可能であった。