- 題名:「淡路人形」
- 作者:大歳敏秋
- 制作年:昭和34年(1959年)
- 寸法:
- (表面 絵画部分)上64.9(cm)・下64.6(cm)・
左79.7(cm)・右79.6(cm) - (木枠)上64.7~64.8(cm)・下64.9(cm)・
左79.8(cm)・右79.9(cm)
- (表面 絵画部分)上64.9(cm)・下64.6(cm)・
- サイン:あり(右下)
- 技法:油彩
- 支持体:キャンバス
- 木枠:あり(日の形)
- 額縁:あり
- 裏面保護:なし
- 所有者:南あわじ市立阿万小学校
表面
画面上部に絵具層の剥落が多く見られ、顔や髪・着物・手の部分に絵具層の剥離が見られた。額縁から作品にかけて何箇所か釘でとめられていたが、その時に出来たであろうと思われる傷を右上と左下に確認した。また下部中央に不自然な膨らみが確認され、それはキャンバスと木枠の間に何か挟まっているのではないかと思われる。本作品の表面には右下にサインも確認できた。
裏面
長年講堂の壁に掛けられていたために埃を被っており、キャンバスの裏面には作品のタイトル・名前・印字・制作年と作品を出展したと思われる「東光会」の名前が書かれていた。
修復処置⼯程
本作品の修復処置は以下に記載した手順により行った。
1.修復前調査及び写真撮影(可視光線・斜光線・紫外線・X 線の照射撮影)
作品を修復する前に作品の全体・及び部分写真(特に損傷を起こしている箇所は克明に記録しておく)を撮り、肉眼では確認しにくい損傷や内部構造を知るために、斜光線・紫外線・X 線等の光学調査によって観察・記録した。
2.作品への処置
- 2・1.額縁からの取り外し
- 2・2.絵具層の剥離の仮固定
- クリーニングの前に剥離・剥落部分の被害が拡大するのを抑えるために、Beva371(エチレン・ビニルアセテート系熱可塑性接 着剤)とミネラルスピリット(石油系溶剤の一種)を混ぜて作品に添付した。(Beva371 は熱を加えることで接着している面と離れるので、再修復時に剥がすことができる)
- 2・3.木枠からの取り外し
- 本作品において下部中央付近に不自然な膨らみがあることで、作品のキャンバスと絵具層を傷めている可能性が高いため、クリーニングの前に木枠から取り除くことにした。膨らみのあった作品の下部中央にはネジが、左下には箒の先ようなもの(20.9cm)がキャンバスと木枠の間に挟まっていた。
- 2・4.作品の裏面のクリーニング
- キャンバスに張り込んだ時の跡がついているので重しを置いてキャンバスを平らにならし、乾いた刷毛または筆とミュージアムクリーナー(博物館・美術館などでの作業用のHepa フィルターの付いた掃除機)を用いて作品の裏面のクリーニングを行った。
- 2・5.ホットプレス
- ホットテーブル(アルミ合金のヒーティングテーブルで、熱と真空作用によってプレスする機械である。)を使用し、熱を加えながらバキュームで空気を抜いて圧力をかけ、亀裂や剥離部分にBeva371 を浸透させた。またキャンバスの波打ちの修正も行った。
- 2・6.木枠のクリーニング
- 2・7.ストリップ・ラニイング(画布側面の補強と耳つけ)
- そのまま木枠に張り込んでしまうと傷んでいたキャンバスが裂けてしまう恐れがあるため、ストリップ・ライニングと呼ばれる作業を行った。ストリップ・ライニングの作業工程として木枠に張り込む時に力がかかりやすい画布側面部の補強用の帯を用意し、その補強用の帯をキャンバスに貼り付けた。
- 2・8.木枠への張り込み
- 2・9.Beva の除去
- 表面に添付された余分なBeva をミネラルスピリットと綿棒を用いて除去した。
- 2・10.画面のクリーニング
- 画面のクリーニングには脱脂綿と竹串と水を用いて綿棒状にしてクリーニングを行った。画面上を転がすようにして作業を行い、剥離・剥落の激しい部分には絵具層を傷つけないように注意しながら作業をした。
- 2・11.充填材の作成及び充填
- 今回使用した充填剤は、兎膠と水を1 対9 で作った10%の膠水と硫酸カルシウムの粉(白亜)を使用した。作品の絵具層の欠損部分を、充填剤を用いて埋めていく作業のことを充填と呼ぶ。
- 2・12.成形
- 成形とは充填部分をオリジナルの絵具層の筆使いや凹凸を観察しながらメス等で削り高さを整えることである。
- 2・13.補彩
- 補彩とは絵具層の剥落部分に充填をしたあとに成形を行い、さらにその部分がオリジナルと比べて目立たないようにするために水彩絵の具を用いて色を補うことである。
- 2・14.アクリルガラスの取り付け
- 2・15.バックパネルの取り付け
- 作品の裏面を外気や衝撃から守るために、バックパネルを取り付ける。
3.額縁への処置
- 3・1.額縁の虫燻蒸
- 作品と額縁の重なり合う溝の部分に虫の卵らしきものを発見した。(虫の卵と思われるものは2 つあり、それぞれ右上から①→2.5cm~4.0cm と②↓7.9cm~10.1cm の場所にあった。)さらに額縁に小さな穴が空いているのを確認した。そのため額縁の中に虫や虫の卵がいる可能性があるので、額縁に防虫剤を貼り付けて気泡緩衝で額縁全体を包み、2週間程度燻蒸させた。
- 3・2.額縁のクリーニング
- 額縁のクリーニングとして竹串と脱脂綿を綿棒状にしてクリーニングを行った。本作品では額縁が水彩で着色されていたので、慎重に作業を行った。
- 3・3.額縁の補彩
- 額縁の剥落していて木が露出している部分に補彩を行った。水溶性のアクリル絵の具と顔料を用いて補彩を行い、額縁のザラザラとした表面の表情を再現した。
- 3・4.内側の額縁への金箔(合金)の貼り付け
- 3・5.ワックスの添付
- 額縁の表面は水彩で着色しており、補彩部分も水溶性のアクリル絵の具を用いたので、その上からワックスを塗布した。
修復処置を行う前に、事前調査として光学調査をおこなった。本作品は斜光線・紫外線・X 線を照射し、観察・記録した。それぞれの特徴として、斜光線は斜めから作品に可視光線を当てることで、作品の波打ち状態や目視よりも詳しく表面の状態(剥離・剥落)を観察
することができる。本作品では、画面左上に縦に線のようなものが確認され、キャンバスがたるんでいることが確認できた。また画面下部中央付近に不自然な膨らみ(凸)があることが確認できた。
次に紫外線は、紫外線とは可視光線よりも波長の短い光のことで、200nm~380nm までの光のことである。照射することで作品表面のワニスの有無、過去の修復で行われた補彩部分が確認できる。本作品では、淡路人形の着物の部分と顔の一部分が発光していること
が確認できる。絵の具を特定することは難しいが、紫外線を照射することで発光する絵の具を使用して描いたのではないかと考察することができた。ニスの添付は本作品からは確認されない。
そしてX線は紫外線よりも波長が短い光のことで、0.1nm~10nm までの光のことである。作品にX線を照射することで、X線が作品内部を透過し、支持体の構造が観察でき、鉛白(塩基性炭酸鉛)はX線を吸収するため絵の具を識別できる。また、剥落箇所の充填状況
が観察できる。本作品からは下絵の跡や絵の具の識別などはできなかった。また、この作業をしたのがキャンバスに張り直したあとであったため、X線照射写真に写っている釘の並びはオリジナルではなく、張り直した後の釘の並びとなっている。(なお、本作品のX写
真観察は、高梁市の仲田医院のご協力をいただいた。)
木枠から取り外した時に出てきたもの
Beva371 添付時の写真とホットプレス作業中の写真
画面のクリーニング作業中の写真
充填材作成・充填作業中の写真
補彩作業中の写真
額縁のクリーニング時の写真・額縁に付着していた虫の卵の写真
1.大歳敏秋について
大歳敏秋は淡路で生まれ育ち、淡路人形を題材とした作品を描き続けた画家である。作品には日展や東光会展で入選や受賞している作品も多い。学校の教員といて従事していた時期もあり、淡路に住んでいる方の中には大歳敏秋から絵を習ったという方もいて、淡路に馴染み深い画家である。
大歳敏秋の年譜(ピックアップ)
明治39 年(1906) 10 月5 日 | 兵庫県三原郡志知村飯山寺、天羽(謙蔵)家 三男一女の次男として生まれる |
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昭和10 年(1935) | 東光会入選、以後毎度入選 会友、会員、委員へと進む |
昭和22 年(1947) | 日展入選(淡路人形)、以後毎年入選 |
昭和32 年(1957) | 日展岡田賞(淡路人形深雪姫)受賞 |
昭和33 年(1958) | 日展無鑑査となる、東光会審査委員となる |
昭和36 年(1961) | 日展特選(淡路人形 操と相撲) |
昭和38 年(1963) | 日展委嘱となる |
昭和42 年(1967) | 大阪阪急にて個展 |
昭和50 年(1975) | 読売新聞社賞(初花姫)受賞 |
昭和51 年(1976) | 日展会友となる |
昭和52 年(1977) 12 月 | 半どんの賞受賞 |
平成5 年(1993)5 月28 日 | 逝去 享年87 歳 |
淡路源之丞人形館にて 昭和36 年(1961 年)8月
※「大歳敏秋 館蔵遺品」P6
第8 回 日展出品作品
※「大歳敏秋 館蔵遺品」P9
2.大歳敏秋と東光会について
本作品のキャンバスの裏面には「東光会」と書かれていた。
東光会とは「光は東方より」という輝かしい夜明けを思わせる言葉から「東光会」と熊岡美彦によって命名された。昭和7 年(1932 年)5 月16 日)に熊岡美彦・斎藤与里・高間惣七・岡見富雄・堀田清治及び橋本八百二の6 名により洋画の任意団体として設立された。大歳敏秋はこの作品の他にもいくつかの作品を東光会に出展し、東光会のなかで会友・会員・委員と進んでいる。
3.淡路人形について
淡路人形浄瑠璃は、摂津西宮百太夫という人形遣いが三原郡三篠村(南あわじ市市三篠)に来て、人形あやつりを教えたのが始まりといわれ、その子の引田淡路掾は元亀元年(1570)に宮中で「式三番叟」を演じて高い位を賜ったと伝えられている。江戸時代になると大阪
から新しい浄瑠璃をいち早く取り入れ、18 世紀前半には40 以上の人形座が西日本を中心に全国各地を巡回し、徳島藩は淡路人形を保護した。
こうして浄瑠璃文化は全国に広がり、四国・九州や中部地方、北は岩手県盛岡まで各地に淡路人形系人形芝居が根付いた。
4.作品に描かれている題目について
本作品のモチーフとなった演目として「傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段」ではないかといわれていたが、作品の裏面に書かれた題名には「淡路人形」としか書いておらず、はっきりとした記述がなかったので調査を行なった。
淡路人形座の方に作品の写真を見ていただき、本作品が「傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段」であるかお話を伺ったところ、作品の衣装や人形の顔から「傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段」の一場面を描いてはいないのではないかという意見をいただいた。「傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段」で使われている人形の顔の種類として、お弓はお母さんの役で使う「嬶(かか)」の人形を、おつるは娘よりも若い「子供」の人形を使用するのだが、作品に描かれている右側の人形は衣装や顔立ちから「嬶」で合っているかもしれないが、左側の人形は髪型や服装、そして顔立ちを比べても「子供」ではない。よって本作品のモチーフとなった題目や場面は「傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段」ではないのではないかという結論に至った。
本作品に描かれている衣装や顔から、左側の人形は「姫」で右側の人形は「嬶」ではないのかということ以外分からなかった。年齢に合わせた役が決まるので、若い娘は眉があって歯は白く、奥方になると眉がなく、お歯黒になるなどの変化がある。右側の人形と左側の人形を比べると、左に比べて右の眉は薄く描かれている。このことから、母親の役を当てられる「嬶」のかしらで、左側の人形は若い娘ではないかと推測することができる。左側の人形の衣装は、黒に金色の刺繍がしている衣装で渦を巻いた雲のような衣装を着ているが、これは姫君や奥方の打掛として使われる衣装である。また、「雲」と「龍」をあしらった着物は淡路人形芝居独自のものである。この2つことから左側の人形は「姫」のかしらではないかと推測することができる。
また、本作品の人形の首が下がっており、動きがあまり見られない姿勢であることから、本作品は作者が淡路人形浄瑠璃の題目を見たまま描いたというよりは、人形を配置させて自分で想像しながら描いたのではないかという結論に至った。
※3
作品の右側の人形
姫君の打掛 ※4
作品の左側の人形
※ 「淡路人形芝居」から 発行日2000 年2 月10 日 発行所 淡路人形芝居写真集編集委員会 総合監修 財団法人淡路人形会
1(P81) 2(P80)3(P80) 4(P70)
平成28 年6月17 日に南あわじ市立阿万小学校を訪れ、吉備国際大学内の文化財総合研究センターへ運んだ。そこから修復と調査を行い、平成29 年3 月2 日に南あわじ市立阿万小学校へ作品の引渡しを行った。引渡し日には、南あわじ市立阿万小学校榎本精治校長先生の他に増水一二阿万小学校元校長兼阿万前公民館長、黒田昌宏阿万地区財産区議長、岡本保行阿万地区連合自治会長、土井本環阿万地区交流センター長が待っていてくださった。
講堂に掛けられていた当時の話や大歳敏秋氏の話など貴重なお話を聞くことができた。本作品は小学校の玄関の壁に掛けられることになり、コンクリートの分厚い壁には、専門の業者さんに電気ドリルで壁に穴を開けて、フックを付け、壁に掛けられた。
作品引き渡し時の様子